
わたしはPTAなんか二度とやりたくない。これからPTAをやる人には申し訳ないが、本当にそう思う。
PTAトラブルなんて、自分には縁のない話しだと思ってたのに。実際は生きてきた中でいちばんひどい1年だったと言うことができる。
自分よりかわいそうな人がいた、と思ってくれたらわたしは嬉しいし、そんなに酷くなかったなで任期を終えれば儲けもんになる。
わたしが標的にされた話しを読むだけで、これからのPTAにきっと希望をもつことができるだろう。
幼稚園のPTAなんか二度とやりたくない!
とある公立幼稚園のPTAトラブルの話し。
しかたなく決まったPTA。今までやったことない、下の子がいない赤ちゃんがいない、という理由で枠に入れられほぼ強制的にやることになってしまう。
やりたくないけど仕方ないから、がんばってみようという気持ちだった。そんなPTAで嫌がらせを受けるなんて、微塵も思わなかった。
むしろ最初はこのメンバーならやっていけそう、なんて思っていたのも事実で。でもいつからかな、途中から歯車が狂いだし、それと同時に生活にも支障が出だす。
憩いの趣味でやった音楽活動もやる気がおきず、スマホしかさわれない死人のようだった。完全に着信音を切っても気になる、役員グループのメッセージ。
やってもやっても文句を言われ、むくわれない喪失感。ただ子供のため、しかたないとずっと思っていた。すべてを犠牲にしたのだ。
ストレス
めんどくさいので他人に気を使い怒らせないようにと、努力してニコニコを演じる。しかし、素の部分はでてくるようで。
恐ろしく文句を言われて、LINEメンションの嵐。現会長からも前会長からも「こうしたほうがいいよ」「こうしないといけないよ」と言われストレスを感じていた。
そう、自分のやり易いように無駄なく工夫してやっているわたしが、いつのまにか標的になっていたのだ。
(会議が長すぎて全部ノートにメモるのは大変なので、大事な日時内容だけスマホの予定欄に入れるとか ← みんなノートひらいて書いているのだから書きなさいみたいな)
自分の意見は通るわけないのに、意見を求められる苦痛。ただ同意を求めてるだけ。もう完全にPTAのせいで人間不信になる。
わたしは、最初自分の意見を言ってたよ。でも途中から無意味だと気づいてからは、いいね~としか言わなかった。
自分の意見が通らないと、機嫌が悪くなる人を相手してわたしの心はすり減って(今思えば)ノイローゼになっていたのだと思う。
人によって態度が違う
わたしをいじめていた会長は、それはもう人当たりがいいと評判の人だったのだ。うまくやっていけそうと、実際はわたしもそう思ってた。
でも恐ろしいことに、人によって態度を変えるモンスターの気質をもっていたのだ。
なので誰もわたしの気持ちは気づきにくい。かろうじてLINE事件があったときに、目撃した他の役員の人たちが気づいただけ。
分かってほしいわけじゃないが、化けの皮をかぶったとはこのことだと強くそう思った。
PTAがつらい!ノイローゼになっても逃げられない!

時代遅れのPTAはとにかく、犠牲が多すぎるのだ。PTAやりたくないのにやらなきゃいけないって、こんなに苦痛なことはない。
善意のふりで仕事量がどんどん増えていく「やらなければいけない」という呪いの鎖につながれていたのだ。
イベントがつらい
2ヶ月に1度あるイベントのために、頻繁に1日中会議をし自分たちで決めて作るのくり返し。終わればまた、何かある。
- 夏祭り
- 運動会
- 秋祭り
- バザー
- クリスマス会
- もちつき
- 卒業アルバム
公立の幼稚園なので少ない予算でいかに手作りで充実させるかに、命をかけていた。自分たちの子供を楽しませるため、前年度よりよくしようとみんな張り切っていた。
「行事つめすぎでしょ・・・」
許容量以上のことを「ガンバロー!」ってやるもんだから家で持ち帰ることが多く大変だった。プラスして役員の仕事もやらなくてはいけなくて、てんてこまいな毎日。
ごはん作るのがめんどくさくなり、部屋は散らかっていく。
逃げられない
年中と年長は1クラスずつと小規模の公立幼稚園なので、2年間で全員が何かしらの実行委員にならなければならない。
PTAをやりたくないと思っていても…わたしは園長先生に直訴するほど、強い気持ちもなかった。そんな勇気ない。とにかく心をなくして、1年間耐えればいいと思っていた。
避けれない
- 弟や妹がいない
- 過去5年間役員をしたことがない
小さい幼稚園なのでそれだけでかなりの人数がしぼられ、自動的に実行委員をやらなきゃいけないメンバーにいれられてしまう。
1人何が何でもPTAはやりたくない、と拒み続けた人がいたが、もちろんと言っていいほど陰口をたたかれていた。
唯一の方法は幼稚園を変わるしかなかった(はじめは嫌だけど我慢できると思っていたので、拒んだ人のことをズルいとさえ思っていた。後にこの人は正しかったと思わされる)
やりたくないのに逃げることも避けることもできないので、やるしかなかったのである。
【体験談】PTAは確実に頭おかしい人がいる

PTA嫌がらせトラブルの真相、以下。
わたしは書記でイベントごとに文書を作っていた。毎回会長に見せ園長の許可をもらい、コピーをして連絡帳に折ってはさむ。
会長の許可をもらうのが大変で大変で(性格が細かいため)何度も細かい文の表現や絵など手直ししてはまた手直しの連続で…まいっていた。
なので途中からわたしの代わりに、全部旦那に文書を作ってもらっていた。実践的に会社でも上手にこなす、わたしの影武者だ。旦那も快く手伝ってくれた(何度も文書を作る人にはたいした作業量ではない)
唯一の救いは、こんな風に家族がいろいろと協力してくれたことだ。
LINEもわたしのふりして、返事をする。そうとも知らない会長の要求は、どんどんますばかり。
同性は同性にキツイともいわれてるし。だって、わたしだと思って言ってるんだもんね…
普通お父さんは幼稚園の役員仕事にはかかわらない「謎ルール」があったので(お母さんがやってあたり前みたいな)誰も気づいていないしそんな頭がないと思う。
LINE
LINEのメンションがくるわくるわ。会長からわたしへの文書の直しがたくさん。旦那がそれを見て、言われた通り自分で直す。好きな様にやらしてあげれば、だと。
文書作りマスターの旦那でも、会長の思い描く「文書」を作るのはひとすじ縄ではいかなかった。要求は、どんどんますばかり。
わたしが3行で返しても、返信は10倍の30行で届くのはザラ。行が詰まった絵文字のない文はビッシリで、読むのもしんどい(想像してみて)
今思えばたかがPTAで頭おかしいんじゃないかとさえ思うが、当時は恐怖でスマホの電源を切って戸棚にしまっていたほど。
見るのも苦痛になって、うつっぽくなっていたわたしはLINEのやりとりもわたしに成りすまして途中から旦那にすべてをやってもらっていた(わたしっぽく返信する)
このときからLINEが嫌い、長い文が嫌いになってしまう。
それは何年たっても変わらない。LINEは苦手なままで、長文を見ると嫌悪感がよみがえってくる。そしてついに…
「人間の悩みはすべて対人関係である」アドラーは言っていた…そのとおりだ。知っていたら違った反応になっていたかもしれない。仲良くしたいなんて微塵も思わないが。
自分が変わればいいとよく聞くが、それももう知る由もない。
1日中の会議
朝から夕方まで1日中ある会議で、つねに何をメモしろと?何の議事録が必要?ノートを開いたって書くことがない。
女性の脱線話しばっかりの会議にメモなんて必要ないし、決定事項はスマホに入れればいいじゃないと思っていた。
だから実際そうしていた。でもそれが気に食わなかったもよう。
「普通は前の資料見返しながら、何か書くよねぇ?」
と高圧的に言われしかたなく、紙をもっていった。が!書く必要がないものを書けと言われてもわたしは書けなかった。それにイラついていたんだろう。
昼ごはんも半分の人は弁当持参だったが、わたしは何かにつけて外出をしてスーパーの駐車場の車内で昼ごはんを食べていた。まさにトイレ飯。
芋ほり
たくさんの芋ほり道具の荷物を持っている会長が「重っ」とひと言。5人ほどが一斉に会長にかけよる。
「大丈夫?持つよ」
5人も行ったんだから、いいだろうと判断してわたしは行かなかった。それがまた会長の怒りを買ったみたいだった。あとから聞いた話し。
Tシャツ
毎年毎年、役員は同じ色のTシャツを着てイベントで実行委員をする。
だから今年も同じように、同じ色のTシャツを(自腹で)買おう!という話しにいつの間にかまとまっていたので傍観していた。
去年は○色のTシャツで、おととしは○色だから…今年は○色で!てな話しにまとまったとき。
わたしは「家にその色のTシャツあるから、買わなくていいかな?」って機嫌をうかがいながら言ってみた(実際に会社のイベントTシャツが何枚もある)
え?何言ってんのコイツ?って顔をされて「いや~それは1人だけダメでしょ」
と意味が分からない理由で、わたしも結局Tシャツを共同購入させられてしまう。え…無地で同じ色なのに何がちがうの。
例年の見本を”それる”ことは、悪なのか?
なんて無駄で効率の悪いことしてるのだろうね。融通が利かない、どうしても同じようにしないといけない?PTAって頭おかしいんじゃないとさえ思ってしまった。
事件は起こる
人付き合いが別に不得意でない旦那もはじめは「好きな様にやらしてあげれば」の精神で言われたとおりにこなしていた。
わたしはこてんぱんに言われる毎日…
いつものように鬼細かく、文書の直しがきて何度も何度もやり直す作業が大変で。会長1人に夫婦が振り回されている状況をなんとかしたくて。
このやりとりが1回でできたらいいな、効率悪いし、そんなに理想の文書と違うのならさ…なんて思ったわたしは行動に出る。
「じゃあどこが直してほしいか、先に箇条書きで提示してください」
って言ってみた。そしたら…
恐ろしく怒りのLINEが連続で届く。しかも全部長文のビッシリ文字「それがあなたの仕事でしょ!何言ってんの?バカじゃないの?」とまで言われた。
今思えばそのPTAメンバー頭おかしいんじゃないと思うが、当時は恐怖でしかなくてスマホの電源を切って戸棚にしまっていたほど。
恐ろしくて…読めなくて、内容はチラっとしか見てなく旦那に代わりに読んでもらった。
それで普段温厚な旦那も、ついに静かに怒って。
LINEの役員グループに「今まで文書は旦那であるわたしが作っていました」
「これから先文書作りとLINEのやりとりは全てわたしが行いますので、妻の〇〇はサポートとして手伝ってもらいます」
といきなり影武者を自分から名乗って、反撃してくれた。ズイッと矢面に立ってくれたのだ。
他人に対しては温厚であまり言わない性格なので、わたしはあまり見ない姿にヒヤヒヤ…
そして、けっこう長い沈黙のあと…
これからよろしくお願いします。とだけ会長から連絡がきた。
うぅぅ…悲しさと嬉しさとぐちゃぐちゃな感情で涙がとまらなかったよ。でも、ありがとう。
【まとめ】PTAは辛い!家族に助けてもらわないと頑張れない

この頃はなんか涙もろくなり…新聞を読んでは、テレビを見ては、よく泣いていた。
泣いたらスッキリするともいわれるが、わたしの場合は疲労感だけがたまってさらに疲れるだけで。
ストレスのせいか風邪も引きやすかったし、体調もすぐれず趣味の音楽も休んですべてがふさぎがちになっていた。
あのとき家族が助けてくれなかったら、どうなっていたのだろうか。
悲しいけど、うれしい。よくわからない感情でぐちゃぐちゃに泣いたあの日。
わたしの肩の荷を代わりにせおってくれたのは、そこにいるのが当たり前のような…空気と化していた旦那だったのだ。
たとえ旦那に文句や怒りをぶつける日があっても、この日の事を思い出すとわたしには感謝の念が必ずわいてくる。
PTAで人間不信になったものの、家族の絆は深まった、そんな1年だったと思う。幼稚園のPTAと小学校のPTAはトラブルの予感がするだろう、おいおいにしてそれは当たる。
たかがPTAで大げさかもしれないが、家族の反応次第でよくも悪くもなる、恐ろしい事案だったと今でもしみじみ感じている。
役員が何人かそろえば、必ずPTAに頭おかしい人が必ず1人はいるだろう。それは人によってはいい人に見えるから恐ろしい。
何年か前に評判の良いPTA会長が〇〇事件を起こした、全国ニュースを思い出す。人は本当に見かけによらないのだ。
わたしのLINE事件を見た他の役員が、実際にコソッと「大変だったね」と言ってくれた。あくまで後半にコソッとだ。みんな知ってたんだ…、とそのときやっと気づく。
みんなニコニコが本当に上手だったのだ。そして上手に対応できない、わたしがモンスターの標的になってしまったということ。
助けてくれた旦那には、今でも本当に感謝している。どんな嫌なことにも、救いはあるものだ。
何もない楽しいPTAの方がめずらしいだろう。年齢をかさねるにつれ自我が強く、頑固になっていくのでPTAの集まりに何かが起こってしまうのは仕方のないことだ。
この1年わたしが体験したことで、わたしは「確かにPTAって頭おかしいよね」って同意ができるようになってしまった。
そう事実、PTAは頭おかしい人もいるし、自分の頭もおかしくなってしまうのだ。
もしPTAやりたくないのになってしまったら、自分の意見は慎重に言う、ニコニコを心がけてひたすら我慢しよう。
”羊の皮を被ったオオカミ”に、あなたが狙われないことを祈っている。
PTAの長すぎる会議を猫ミームでふりかえってみました。こちらは初期で序の口ですけど、とにかく長かったですね。
他にもPTA動画いろいろ作ってます。辛い記憶をおもしろく変換してます、どうぞ見に来てみてくださいね!
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